(9) 無茶な誘い

 

 

 

 

朗らかな心で理解したいと私は願う。

目と耳の提供するものを。

『エピメニデスの目覚め』 ゲーテ

 

 

洞爺から東室蘭へ向かった。東室蘭についてシェアカーのレンタル開始時間まで時間があったので、すこし町をぶらぶら歩いた。すきま時間の散歩だ。

時間が空くと何をしたらいいのかわからなくなる。そんな感覚になることがある。隙間をうめるのは好きだけど、「隙間」それ自体はなんだか怖くていやな感じがする。

隙間というのは言ってみれば「裂け目」だ。隙間がなんとなく怖くていやな感じがするのは、「崖」から海を覗こうとすれば怖くなるのと同じだ。

 

「ぼくは矛盾が好きだ」

 

と、誰かに言うことがある。でも、実際には「矛盾」それ自体が好きなわけではない。

もっと言葉を尽くせば、「矛盾」を覗こうとするときにだけ見えてくる「何か」が好きなのだ。矛盾と向き合って「葛藤」しているときにだけ感じられる「何か」が好きなのだ。

だいたい、「矛盾」や「葛藤」というものは人間にとって負荷でしかない。

負荷でしかないけれど、それを背負ったときにしか感じられない「何か」があるから、「そこ」に向かっていくことを恐れずにいたいのだ。

 

シェアカーのレンタル開始時間になった。シルバーのフィットに乗って白鳥大橋(の展望台)に向かった。伊豆高原にいるときにテッチャンに教えてもらった場所。

北海道にきて訪れた場所は、テッチャンとマヤに教えてもらった場所が多い。二人が教えてくれた場所に行ったりすると、その時の自分に必要なもののヒントが見つかることがよくある。しかも、なんというか、「感触の深い」ものが見つかる。

 

白鳥大橋に向かう道中、米津玄師の『地球儀』をリピート再生していた。テッチャンとドライブするときにいつも流す曲。マヤとあーだこーだ話した映画(『君たちはどう生きるか』)の主題歌。大好きな思い出の曲だ。

 

『地球儀』を聴きながら、今の自分に足りないのは「地球感覚」みたいなものなんじゃないかと思った。宇宙や人間についてはそれなりに探究しているけど、そのあいだが足りない。

「オレは地球で何をしたらいいんだろう?」と思うことがたまにある。「誰に無茶な誘いをされてこんなところにきたんだろう?」と思うことがたまにある(これはウソ)。

けど、地球儀を聴きながらテッチャンとマヤのことを考えていると、「地球で何をしたらいいのか」を知らず知らずに教えられていた気がした。

詳細を言葉にするとさらに意味不明なので二人にも話せないけど、「やっぱり今の課題は地球だな」と、これまた意味不明なフレーズで思考をまとめた。

 

エロス、フィリア、アガペー。性愛、友愛、聖愛。愛にも色々ある。「アイを知りたい」と思って地球で色々学んでいる日々だけど、ふと振り返ると、やっぱりこれも真ん中が抜けていた。

「友愛」という言葉の意味を知らなかった。

知らないから、「この気持ちは何なんだろう?」と思っていた。

でも、その意味が今はすこしわかる。

 

車から降りて、橋の見える展望台に向かって階段を登った。

階段を登りながら、またいつか二人に、いつもみたいに「無茶な誘い」をしようと思った。「無茶な誘い」をして、ドライブにでも行こうと思った。

そのときは、『地球儀』をリピート再生してやろうと思った。

何度も再生しようと思った。

 

 

階段を登り終え、海で隔てられた町をつなぐ白鳥大橋を眺めた。

太陽の沈む方向にある、町をつなぐ橋。その景色を眺めたあと、その反対側にある景色を眺めた。

海が港に溶け込んでいた。

港に溶け込んだ海は、青かった。

 

「いつまで青い海を眺めていられるのかな」

 

そんなことを思いながら、階段を降りようとした。

階段を降りようとしながら、もういちど海を眺めた。

 

青い海から、二人の笑い声が聴こえた気がした。

 

階段を一人で降りる自分の歩調が、すこし弾んでいた。

いつもより、すこし弾んでいた。

 

 

 

雨を受け歌い出す 人目も構わず

この道が続くのは 続けと願ったから

また出会う夢を見る いつまでも

一欠片握り込んだ 秘密を忘れぬように

最後まで思い馳せる 地球儀を回すように

 

地球儀』 米津玄師

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