朗らかな心で理解したいと私は願う。
目と耳の提供するものを。
『エピメニデスの目覚め』 ゲーテ
洞爺から東室蘭へ向かった。東室蘭についてシェアカーのレンタル開始時間まで時間があったので、すこし町をぶらぶら歩いた。すきま時間の散歩だ。
時間が空くと何をしたらいいのかわからなくなる。そんな感覚になることがある。隙間をうめるのは好きだけど、「隙間」それ自体はなんだか怖くていやな感じがする。
隙間というのは言ってみれば「裂け目」だ。隙間がなんとなく怖くていやな感じがするのは、「崖」から海を覗こうとすれば怖くなるのと同じだ。
「ぼくは矛盾が好きだ」
と、誰かに言うことがある。でも、実際には「矛盾」それ自体が好きなわけではない。
もっと言葉を尽くせば、「矛盾」を覗こうとするときにだけ見えてくる「何か」が好きなのだ。矛盾と向き合って「葛藤」しているときにだけ感じられる「何か」が好きなのだ。
だいたい、「矛盾」や「葛藤」というものは人間にとって負荷でしかない。
負荷でしかないけれど、それを背負ったときにしか感じられない「何か」があるから、「そこ」に向かっていくことを恐れずにいたいのだ。
シェアカーのレンタル開始時間になった。シルバーのフィットに乗って白鳥大橋(の展望台)に向かった。伊豆高原にいるときにテッチャンに教えてもらった場所。
北海道にきて訪れた場所は、テッチャンとマヤに教えてもらった場所が多い。二人が教えてくれた場所に行ったりすると、その時の自分に必要なもののヒントが見つかることがよくある。しかも、なんというか、「感触の深い」ものが見つかる。
白鳥大橋に向かう道中、米津玄師の『地球儀』をリピート再生していた。テッチャンとドライブするときにいつも流す曲。マヤとあーだこーだ話した映画(『君たちはどう生きるか』)の主題歌。大好きな思い出の曲だ。
『地球儀』を聴きながら、今の自分に足りないのは「地球感覚」みたいなものなんじゃないかと思った。宇宙や人間についてはそれなりに探究しているけど、そのあいだが足りない。
「オレは地球で何をしたらいいんだろう?」と思うことがたまにある。「誰に無茶な誘いをされてこんなところにきたんだろう?」と思うことがたまにある(これはウソ)。
けど、地球儀を聴きながらテッチャンとマヤのことを考えていると、「地球で何をしたらいいのか」を知らず知らずに教えられていた気がした。
詳細を言葉にするとさらに意味不明なので二人にも話せないけど、「やっぱり今の課題は地球だな」と、これまた意味不明なフレーズで思考をまとめた。
エロス、フィリア、アガペー。性愛、友愛、聖愛。愛にも色々ある。「アイを知りたい」と思って地球で色々学んでいる日々だけど、ふと振り返ると、やっぱりこれも真ん中が抜けていた。
「友愛」という言葉の意味を知らなかった。
知らないから、「この気持ちは何なんだろう?」と思っていた。
でも、その意味が今はすこしわかる。
車から降りて、橋の見える展望台に向かって階段を登った。
階段を登りながら、またいつか二人に、いつもみたいに「無茶な誘い」をしようと思った。「無茶な誘い」をして、ドライブにでも行こうと思った。
そのときは、『地球儀』をリピート再生してやろうと思った。
何度も再生しようと思った。
階段を登り終え、海で隔てられた町をつなぐ白鳥大橋を眺めた。
太陽の沈む方向にある、町をつなぐ橋。その景色を眺めたあと、その反対側にある景色を眺めた。
海が港に溶け込んでいた。
港に溶け込んだ海は、青かった。
「いつまで青い海を眺めていられるのかな」
そんなことを思いながら、階段を降りようとした。
階段を降りようとしながら、もういちど海を眺めた。
青い海から、二人の笑い声が聴こえた気がした。
階段を一人で降りる自分の歩調が、すこし弾んでいた。
いつもより、すこし弾んでいた。
雨を受け歌い出す 人目も構わず
この道が続くのは 続けと願ったから
また出会う夢を見る いつまでも
一欠片握り込んだ 秘密を忘れぬように
最後まで思い馳せる 地球儀を回すように
『地球儀』 米津玄師