真理はわれわれの性質に逆らい、誤りは逆らわない。しかも、きわめて簡単な理由によってである。即ち、真理は、われわれが自分を限られたものとして認識すべきことを要求するのに反し、誤りは、われわれが何らかの仕方で限られないものであるかのように、お世辞を言うからである。
『格言と反省』 ゲーテ
苫小牧駅で電車から降りた。
さっき、急遽予定を変更した。
急遽予定を変更して、急遽シェアカーを予約した。
ダークブルーのハスラーに乗って、目的地の「勇払港」に向かって走り始めた。
この「目的地」も急遽決めたものだった。
この日は3月11日だった。
14時46分には港で海を見ていようと思った。
いつものようになんとなくGoogleマップで行きたい場所を探して、「勇払」という文字がなんとなく気に入ったので、勇払港を「次の目的地」にした。
港に着いた。
勇払マリーナのすぐそばの駐車場にハスラーを停めて、海岸へ向かった。
なんの変哲もないこじんまりとした港だった。
なんの変哲もないこじんまりとした港だったけど、やっぱりそこには色んなものがあった。
カメラを首からぶら下げて、防波堤の方に向かって歩いた。
歩きながら、「あの日」に思いを巡らせようとしたけど、そういうのに思いを巡らせる自分がなんだか嘘くさい気がして、やめた。
磯の匂いを嗅ぎながら防波堤の壁沿いを歩いた。
入り口がよくわからなかったから、壁をよじ登ってコンクリートの塊に手を伸ばした。
目線の上にあった、道が続いていそうな防波堤の方に登った。
久しぶりに全身の力をつかった。
”壁を登る”ために全身の力が必要だということを忘れていた。
14時46分まであと15分くらい時間があった。
海を眺めながら、「いったん寝よう」と思った。
タイマーを12分後に設定し、その場で仰向けになって目をつぶった。
急遽予定を変更したとはいえ、自分でもこんなところで寝ることになるとは思わなかった。
コンクリートの上に寝そべって、波の音に耳を澄ました。
無意識に、この音を感じている感覚を言葉にしようとしていた。
言葉にするまえの、皮膚の内と外で何かが多彩に動いている感覚。
色んな感覚や想念が複雑に蠢いている。
そこに意識を持っていく。
海の動きに耳をすませて、皮膚の内外の蠢きをその海の音に寄せていく。
感覚が勝手に重なったり消えたりを繰り返す。
言葉を当てようとすると、たくさんの感覚が言葉から溢れていく。
でも、溢れた感覚たちはきっと消えてはいない。
海の上に浮かぶコンクリートの上で寝そべっていると気分が落ち着いてきた。
それなりに寒いし、それなりに背中は痛いし、それなりに不便だけど、気分は落ち着く。
だいたい、この地球に「優しい場所」なんかを求めるのが間違いなんだろう。
本当はいつだってここは厳しい。
でも、束の間の優しさも感じさせてくれる。
厳しい場所で汗をかき、そこに優しさを運んでいる人たちがいるから。
タイマーが鳴る前に目を開けた。
立ち上がって、すこし戻ることにした。
向こう側からおじさんが歩いてきた。
「勝手に入って寝てたから怒られるのかなぁ」と思ったけれど、「こんちわ」と軽く会釈をされただけだった。
どこか「不審な目」で見られていた気がしたけど、まぁ無理はない。
別にやましいことはしていないけど、ここが「自分の入っていい場所」だとも思えなかったので、ちょっとした罪悪感はあった。
防波堤の根本のほうで立ち止まって海を眺めた。
あと1分。
太陽の光が、海に反射していた。向こう側からこちら向かって、直線上に伸びていた。
光が、「道」をつくっていた。
「これは人生だな」と、いつものように”妄言”が浮かんだ。
どうやったらこの「道」を渡れるんだろうと考えていた。
この道を歩こうとすれば溺れるだけだ。
水面を歩けるなんて妄想は抱いてない。
「水上歩行」なんてものは信じてない。
でも、この道を泳いで渡ろうとするのも馬鹿馬鹿しい。
泳いで渡ろうとすれば、せっかくの太陽の光がみえなくなるし。
光がみえないまま進むのは無理だ。
人はそんなに強くない。
「やっぱり船が必要だな」と思った。
妄想で渡ることに価値なんかないし、自力で渡るなんて無理がある。
やっぱり「道具」を使うしかない。
人間として生きるというのは、そういうことだろう。
「その瞬間」がやってきた。
カメラを構えてシャッターを切ろうとすると、目の前を”白鳥”が通り過ぎた。
「おぉ」なんて思って、見惚れてしまった。
せっかくのシャッターチャンスを取り逃した。
「まだまだ全然道具が馴染んでないなぁ」と思った。
この世界にも「奇蹟」はある。
それはいつも一瞬のできごととしてやってくる。
その一瞬をつかめるかどうか。
その一瞬をつかみ続けられるかどうか。
その一瞬をつかむためにどれだけ準備ができるか。
「まだまだやれることはある」
そんなことを思いながら、カメラをぶら下げて、来た道をゆっくりもどった。
ダークブルーのシェアカーが待つ駐車場へ向かって歩きながら、何度かシャッターを切った。
誰かが作ったなんの変哲もない港。
海のそばに行けば、「なんの変哲もない場所」なんてないことを思い出す。
いつだって、それはずっと待っている。
港で一眠りして、それを思い出した。