ブーゲンビリア

 

 

 

危機管理ってなんだろうとずっと考えている。

その考えがすこし開けてきた。

「災い」は今のなかに種として存在していて、その種が育ちすぎないように傘をさすのが危機管理というものじゃないか。

この世から災いは消せないけれど、傘をさして待つことはできると思う。

「いい人生」みたいなものがあるとしたら、それは「楽しい雨宿り」みたいなものなんじゃないか。

危機管理なんてものも、頑張ったら「楽しい雨宿り」にできるんじゃないかと思った。

今日も昨日に引き続き、起きたときに夢が思い出せなかった。

でもこれまた昨日と同じで、グッと意識を凝らすと記憶が蘇ってきた。

いつも配達してるお客さんの家に向かっていた。

そのお客さんの家は玄関前の通路が花道になっている。

その花道を太々しく歩いていた。

 

朝刊のときは雨がふりそうでふらない感じだった。

絆創膏の湿り気で皮膚がふやけるような肌感で、傷跡にやわらかく染み込んできそうな天気だった。

 

今日も『星座と神話のおはなし』を聴いた。

ケイローンの話が印象的だった。

不死身のケンタウロスであるケイローンは、ヘラクレスの毒矢に触れてしまった。

だけど不死身だから死にはしない。

でも痛みをずっと抱えたまま生きなくちゃいけない。

「その感じ、なんかわかるなぁ」と思って聴き入った。

 

アイデンティティの死が存在感につながると吉福さんが言っていて、ケイローンの不死身であるがゆえに痛みを抱え続けるようなアイデンティティが死んだら、一体どうなるんだろうと考えた。

ケイローンはゼウスにお願いして、プロメテウスに不死身の能力を譲って死ぬことにした。

プロメテウスは文化英雄。

 

そうか。

だから文化的創造に関わる人が長期間にわたる内的な痛みを抱えているのか。

納得した。

長い時間痛みを抱え、最後はそれを他者に明け渡すこと。

「いいもの」がつくられるプロセスにはそういう熟成が必要なんだろうと思った。

 

朝刊が終わって3時間くらい寝た。

起きたときに「3時間も寝てしまった」と思った。

そう思った自分をちょっと突き放した。

寝ずに何か「生産性」のあることをやらなきゃいけない、みたいな焦りがあるらしい。

そんな焦った感覚は手放したい。

 

「時短」とか「効率化」とか、そんなものとはなるべく距離をとって豊かに生きたいと意識しているけれど、たぶんそれはまだ表面的。

無意識にそういう感覚が埋まっている。

肩こりみたいに埋まっている。

それは肩こりみたいな時間感覚なのだ。

 

布団を畳んで顔を洗ってスーパーに買い物にいった。

家を出て自転車に乗ろうとしたら「まっくろくろすけ」みたいな毛虫がいた。

のそのそ蠢いているコイツは、たぶんオレより豊かな生を全うしている。

そう思った。

 

チャリを漕いでいると肩こりがほぐれてきた。

意識の凝った部分がほぐれてきて、時間感覚もほぐれた。

時短ではなく、時間の中へ入ること。

それは豊かな生への導きになる。

筋肉を硬らせてカチコチのまま動くより、皮膚の上を優しくタッチしてその奥を感じ取ること。

それは豊かな生への導きになる。

 

皮膚の奥には花園がある。

効率化では辿り着けない、秘密の花園。

花は繊細な感覚を目覚めさせ、あまい香りと蜜の味で心を満たす。

豊かさとは、花の果実を味わうことだ。

効率化から果実化へ向かうこと。

 

絆創膏を貼るように皮膚を優しくタッチする。いずれやわらかな傷跡は芽を出し、花が咲く。

ブーゲンビリア 蔦を這わせて
織り重ねては 時間を敷きつめ
刺さる棘に気付くと
木影からこぼれるあの太陽が
見えない腕で 明日を急かした。

歩くために
失くしたものを
拾い集めて
手首に刻み込んでも

明るくなってゆく空を
ふたりは 憎んでいたけど

いつの日か幼ない愛は
抜殻を残して
飛び立つことを 知っていた。


やわらかな傷跡』 Cocco

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