右耳みたい

 

 

 

気張ってセカセカして疲れるか、たるんでボーッとしたまま時間が過ぎるか。

アガるか、サガるか。

交感神経と副交感神経のバランスというか、二つの極のあいだでうまくバランスをとりたいのにとれない。

この二つのバランスをとるためにはどうすればいいか考えた。

その結果、なぜかわからないけど「耳」が重要なファクターになると思った。

 

朝の5時くらいに『竜とそばかすの姫』を観終わった。

「このあとどうしようかなぁ」と考えようとしていると、竜とそばかすの姫の印象が思考に混じってくる。

思考がすこし”クラッシュ”した。

 そのままアクセルを踏んだ。

考えた結果、六本木に行くことにした。

六本木のスタバに、このまえ吉祥寺のスタバで飲んだ「抹茶クラッシュアーモンドミルクティ」があるらしいから。

銀座に妹からの「頼まれごと」で用事があって、六本木なら結構近いなぁと思った。

だから今日は六本木と銀座の両方に行こうと思った。

他人の用事と自分の用事の重ねる。

するとそこから喜びが飛び出てくる。

おぉ、これは喜びクラッシュだ。

 

7時すぎに六本木についた。

お目当ての抹茶クラッシュアーモンドミルクティラテ(長いなぁ)と、それから、アーモンドミルクの抹茶ケーキみたいなのを頼んだ。

抹茶だらけ。

抹茶三昧。

スタッフのお姉さんが「抹茶だらけ、いいですね!」と言ってくれた。

こっちも曇りのない満面の笑みで、「はい!」と答えた。

 

ガラガラの店内の奥のテーブルに座った。

テーブルの上を抹茶だらけにしながら「竜とそばかすの姫」のことなどを振り返り、思索を進めた。

いつのまにか9時前になっていた(今日は思考があまりクラッシュしなかった!)。

すこしボーッとしていると、右側の隣の隣の席あたりの人たちの話し声が聴こえてきた。

「小倉南区」「親がいない」「蓮の花のお茶」。

印象的なキーワードが耳に入ってきた。

話し声のする方をチラッと覗いた。

ほんとに一瞬だけ、チラッと。

 

高校のときの英語の先生に似ている顔があった。

その先生の名前は忘れた。

だけど、イメージとしてその先生のことを覚えている。

授業のとき、ちょっとふざけた調子の人だった。

ふざけた調子だけど、親しい人の前では自分の中の真面目な部分をしっかり表現してそうな人だった。

そんな印象が残っていた。

 

人の名前を結構ど忘れする。

人の名前だけじゃなくて、物の名前もど忘れする。

でも名前を覚えていないからといって、その相手を忘れているわけじゃない。

相手をイメージとして記憶する方が、名前で記憶するより「思いやり」があるような気がする。

いや、対立させるものでもないと思うけれど、名前を覚えるだけが「記憶する」ことではないと思う。

 

スタバを出て六本木ヒルズをすこし散策した。

でっかいビルを巣の中に見立てて、アリみたいに歩いた。

まだ朝早い時間だったから、シャッターが降りている店ばかりだった。

シャッターが降りまくった六本木ヒルズは、ちょっと刑務所感があった。

お琴の音がどこかのスピーカーから流れていた。

ハープかもしれない。

 

ここは中世だ。

そう思った。

夜明け前の宮殿に忍び込んだ設定にしよう。

雅な気分でエスカレーターを登ったり降りたりしながら、一人でニヤニヤしていた。

 

虎ノ門のローソンにいった。

妹から頼まれた「ホットペッパービューティー7月号」が虎ノ門のローソンにあるらしく、それを探しにいった。

表紙の山崎賢人が好きらしい。

山崎賢人君に導かれて虎ノ門まで来てしまったなぁと思った。

山﨑賢人を”設定”(なんの?)に追加。

また一人でニヤニヤしていた。

 

ローソンを出て、なんとなく隣駅の神谷町まで歩くことにした。

途中、愛宕神社の近くでトンネルをみた。

それを見たとき、一瞬、「千と千尋」を想起した。

冥界の入り口。

頭のなかに『いつも何度でも』と『いのちの名前』が流れ始めた。

 

名前とイメージをつなぐのは、音なのかもしれない。

イメージだけ覚えていて名前が覚えられないのは、そこに「音」がないからなのかも。

「リズム」がないからなのかも。

 

しばらくすると、「これからの人生今日が一番 コシノジュンコ」と書いてある寺の掲示板が目に入った。

足取りが軽くなった。

地面を踏み締める足に勢いついた。

リズムがよくなった気がした。

 

東京タワーの下のトイレによって、それから、御成門駅で都営三田線に乗った。

『竜とそばかすの姫』に多摩川の住宅地が出てきた。

それに影響を受けて、多摩川駅方面に行くことにした。

 

多摩川駅の近くに何かあるかなぁと思ってGoogleマップを開くと、隣駅の田園調布が目に止まった。

印象的だった。

そこは「右耳」みたいな形をしていた。

風水かなにかに基づいて街づくりがされているんだろうか。

「右耳」のかたちにつられて、田園調布で降りることにした。

 

田園調布駅から出て、近くのカレーとハンバーグが美味しそうなカフェのところまで歩いた。

ただ、今はそんなにお腹が空いてない。

むしろ空腹感が心地よかった。

ここで無理して食べたら、後から眠くなってボーッとしたまま時間が過ぎるだろうなぁと思った。

塵のような時間が増える。

今はもうちょっとリズムを上げていいタイミングだと思って、食事は断念した。

 

駅前のスタバに入った。

スタバはしご。

はしごスタバ。

慣れている場所は落ち着く。

慣れがダレにならないように、今朝ダウンロードしたばかりのBellの曲を流した。

深い集中とリラックスを共存させるためにできることはなんだろう、と考えながら聴いていた。

 

「聖者」という言葉には、「よく聴く人」という意味が含まれているらしい。

瞑想のとき、最後に感覚が一番敏感になるのは「耳」だと禅のお坊さんが言っていた。

不思議な声が聴こえたり、啓示を受けたりするのにも、耳が関わっている。

人が死ぬとき、聴覚は最後の方まで残っているらしい。

だから、死んでもその人に話しかけると「声」が届くらしい。

耳って、不思議な器官だ。

 

天気予報は午後から雨。

雨が降ったら多摩川駅の方向に向かって歩いて、『竜とそばかすの姫』の印象的なシーンをイメージしようと思った。

イメージを積み重ねて、散歩を楽しもうと思った。

午後も、雨の音を聴きながら、「自分の歩み」をちょっとずつ進めていこうと思った。

 

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