結局、その瞬間その瞬間のその人にとっての正解みたいなものって、ひとつしかないんですよ。それは誰が決めるんでもない、宇宙の流れと本人の人生が交わる点でおのずと決まってくるものなんです。
人間ってノイズが多いから、つい別のことをしようとするんだけど、その瞬間にその人に求められる行動、動作、考え、発言っていうのは、本当はひとつしかない。宇宙がその瞬間に「しなさい」と言ってることと、その人が「したい」と思ってることが呼応して、ピタリと一致するところがあるんですよ。違うことをしないでいると、どんどん道が極まって、瞬間、瞬間、それが一致するようになる。それは本当に武士道みたいな、剣の達人みたいな感じ。
『「違うこと」をしないこと』 吉本ばなな
最近、「違うこと」が増えすぎて煮詰まっていた自分を自覚できるようになってきた。
「なんか違うな」と思うことをやらないように意識して生活していると、「違うこと」が少しずつ見えてくるようになる。
消防にいたときから「利他」という言葉について考え続けていた。
自分を殺して他者に奉仕するみたいな感じは、絶対違うと思っていた。
でも、無意識にそういうことをやってしまうことが沢山ある。
「なんか違うな」と思っても、「まあいいか」で気持ちを塞いでしまったりする。
そんなことを繰り返していると、ノイズが溜まってくる。
当たり前だ。
世の中そんな風にはできてない。
そのうち心がヘドロみたいに濁ってきた。
無意識に少しずつ溜まっていた怒りや嫉妬や憎しみ。
そういうものが心を腐らせ、最後には自分がぶっ壊れた。
ぶっ壊れた自分の目は、人の悪い部分にたくさん反応する。
「違うこと」を繰り返して生きてると、目も濁ってくる。
どんどんノイズが溜まって、楽しいこととか嬉しいこととか、そういものが見えなくなる。
そして、ついには動けなくなる。
ノイズを溜めないためには、「楽しいこと」や「嬉しいこと」、つまり好きなことをやるのがいい。
よく間違えそうになるけれど、それは「楽なこと」ではない。
むしろ大変なことだったりする。
大変だけど楽しいこと。
大変だけど嬉しいこと。
つまり好きなこと。
それを追求すること。
そこからしか、「利他」の流れに乗る道は開けない。
そう思う。
最近、食事を改めた。
糖質を控えてケトン食にした。
瞬間瞬間の感覚が掴みやすくなって、「違うこと」をしない確率が増した気がする。
今の自分にとっては、自分の体調管理をすることも「利他」への接近であり歩みだと思う。
体調を整えて、誰かのためにできることを探ること。
その機会を待つこと。
瞬間瞬間に移ろっていく流れを見極めて、自分の「違わない」流れと、誰かの「違わない」流れを一致させること。
体調管理の目的は、こういう判断力を磨くためにあると思うと、しっくりきた。
「健康」というものがこの身体をもった自分だけのためのものと思うより、この身体を使って他の誰かの方を向いておくことだと思う方がしっくりくる。
「健康」は自分だけのものじゃない。
具体的に何ができるかどうかは、その瞬間その瞬間の判断によるけれど、抽象的な考えとして、「自分を大切にして、その上で誰かを大切する」という方針を持っておくのがやっぱり大事なんだと思う。
これはたぶん、違わない。