2022.09.10
奥沢のスタバの入り口に一番近い席に座って焼きたてのシナモンロールを食べていた。
小学校にあった机みたいな小さな木の机だった。
椅子の上には、赤と黄色の印象がつよい民族的な文様のクッションが乗っかっていた。
「2日前にもこの席に座ったなぁ」と思いながらシナモンロールを頬張って、パン生地の表面のコーティングが崩れていく「パリパリ」という音に耳を澄ました。
2日前は「コルネッティー」という名前のクロワッサンみたいなパンを食べた。
このときも同じような「パリパリ」という音に耳を澄ましていた。
パンを食べるときに小気味よい音が鳴るように、人の生活にも何かの音が鳴っていて、それなりにリズムを刻みながら人は行動しているのかもしれない。
パン生地が「パリパリ」という音を立てるとき、そこにはすこし複雑なリズムがあって、それは「規則正しい」とは言いがたい。
最近の自分の生活は、この規則正しいとは言いがたいリズムで進行している。
5メートルぐらい離れたところに、中年男性一人と同年代くらいの女性二人が座っていた。
彼らの話し声が耳に入ってくると、コーヒーがゆっくり飲めなかった。
ストローからゆっくりアイスコーヒーを啜るみたいにヘッドホンをゆっくりと耳にはめて、ピアノとヴァイオリンの『Jupiter』を流した。
小学校4年生のころに学校行事で演奏会のようなものがあった。
ホルストの『Jupiter』を演奏した。
そのときぼくはキーボードの担当だった。
仲のいい友達グループの他の奴らはリコーダーを吹いていた。
たぶん演奏者の半分以上はリコーダーで、言ってみればリコーダーは「人数調整」のような、演奏が得意じゃない奴らの受け皿みたいになっていた。
ぼくは楽器に興味があった。
打楽器がやってみたかった。
けれども自分からこれがやりたいとは言えずにいた。
なんとなく嫌な気分になりかけていたような気がする。
けれど、先生がキーボードが空いてるからやってみない?と言ってくれたので引き受けることにした。そのキーボードは普通のキーボードとはちがっていて、低音のベースみたいな役割だった。
Jupiterを聴くといつも「低音パート」に身体が反応する。
演奏会の練習をしていたとき、アコーディオンをやっていた女の子が「うちはキーボードの音がないとちゃんと弾けん」と言っていた。
埃の舞う秋の音楽室はすこし肌寒かったけれど、その女の子の言葉はちゃんと熱を持っていた。
「ぼくはここに居ていいんだ」と思えた。
そのときから徐々に鍵盤の前に自信をもって立てるようになっていた。
なんとなくやりたいなぁと思っていたことや、それと似ていることをやって楽しかった記憶。
自分がやりたくてやっていることで誰かに認めてもらえた記憶。
そういうものは記憶にしっかりと温度をもって残っている。
焼きたてのシナモンロールを食べながら『Jupiter』を聴いていると、やっぱり「やりたいことをやる」って良いことだなぁと思った。