2022.09.27
「でも、他にできることがあるかい、ドン・ファン」
「自分のまわりのあらゆる不思議なものごとを探して見つめることだ。自分ばかり見つめることにはあきちまうだろうよ。そればかりか、そんなことをしていたら他の一切のものに対して耳も目も反応しなくなっちまうぞ」
「あんたには視点があるけど、ぼくはどうしたら変えられる?」
「メスカリトがお前とたわむれた奇跡を考えるんだ。他のことは一切考えるな。他のことは向こうから勝手にやって来るさ」
『ドン・ファンの教え』 カルロス・カスタネダ
夕刊が終わって、そのまま自転車で武蔵小山に行った。
なんとなく小腹が空いたような気がしたのでパウンドケーキを買った。
というより、たぶん少しイラだっていた。
苛立ちを宥めるために何かを口に入れたいと思ったのだろう。
商店街の人混みのガサガサという足音を聞きながら、行き交う人々を眺めていた。
本屋の入り口に「万引き多発」と書いてあった。「大変やなぁ」と思いながら本屋の中に入った。階段を上ってすぐのところにある文庫コーナーの前で止まった。
江國香織さんの新刊が出ていた。
『彼女たちの場合は』。
ロードノベルで、アメリカに14歳と17歳の少女が旅に出る物語らしい。
めちゃ面白そうだけど、積読がたまりまくっているのでパス。
パスするくらいなら最初から本屋になんか入らなかったらいいのに。
と、自分で思った。
最初はそのつもりだったし、しばらく本屋には行かないでおこうと思っていたけど、いざ目の前に本屋があると———”足が勝手に動く”といったらおおげさだけど———ついつい入ってしまう。
「サッカーボールがあったら蹴ってしまうのと同じだ」と言ったらこれまた大げさだけど、やっぱり勝手にやってしまうことなのだ。
最近またYouTubeでサッカーのハイライトを見ている。
見ればそれなりに面白い。
「ためになる」と言ったら大げさだけど、それなりに気づきがある。
「ためになる」ことではないけど「気づき」があるもの。
それをいくつも積み重ねいけば、それは結局ためになる。
本屋を出て駐輪場に戻り、自転車で公園に向かった。
林試の森公園についてしばらくボーッと歩いていた。
木々の中を歩くだけで気持ちいい。
虫の鳴き声や風の音に意識が拐われていく。
海にぷかぷか浮かんでるみたいな心地だった。
このまま森に沈んでしまいたいと思った。
小さな池のまえのベンチに座った。
このまえも池のベンチに座っていた。
池の前にハマっているのかもしれない。
左隣のベンチには、小さな男の子を抱っこしたお父さんが座っていた。
左側にいる親子の方を向く前に、なんだかもうすでに「可愛い」気配がして、そっち側を眺める前からニタニタしていた。
ニタニタした顔のまま、左側の男の子の方に向かって、首から上をクレーンみたいに旋回させた。
男の子もニターっと笑ってくれた。
お父さんはぼくたちがニタニタし合っているのに気づいてなかった。
首を戻して、バッグからPCを取り出して開いた。
画面が明るくなる前の一瞬のあいだ、黒い鏡のように反射する画面に自分の顔が写っていた。
そこにはまだ、ニタニタした顔が残っていた。
蚊が飛んでいた。足首を左右一箇所ずつ噛まれた。
コリャだめだ、と思ってベンチから立ち上がった。
もういちど隣の男の子をチラッとみると、彼はもう笑っていなかった。
だけど、彼をみつめるお父さんはニタニタしていた。
愛おしそうに、ニタニタ微笑んでいた。
ぼくたちは、ベンチに座って、「微笑みのパス回し」をしたのだ。