ちょうどいい感じ

2022.12.12

 

 

 

ここ何日間かで順路帳(配達のルートや新聞の銘柄を記したもの)をつくっていた。

事務作業が苦手で、時間が掛かるうえにミスを連発してしまう。

 

事務作業に向いてないのはとっくの昔に気づいていて、だからそういうものからなるべく遠い場所で生きていけるように工夫しているのだけど、それを全くやらずに生きていけるような場所にはまだまだ辿り着けそうにない。

 

このまえ家族旅行で金沢に行った。

旅先の金沢で弟に唾奇の曲を教えてもらってから、最近ずっと聴いてる。

made my dayとか、めっちゃいい。

なにかが「ちょうどいい」感じがする。

唾奇の曲を聴いていると、「言葉が多いのに言葉が少ない」というか、言葉が余計になってないように感じる。

やっぱりなにかが「ちょうどいい」感じがする。

 

友だちと喋ったあと、「余計なことをしゃべりすぎたなぁ」と思うことがある。

というか、最近はそんなことばっかりな気がして、それが嫌になってる。

 

だからもう何にも喋りたくないや、と思ったりもするけど、誰もいない島や誰もいない山に籠ってるならまだしも、街で人と会えばやっぱり何かを話したくなる。

話をしたくないわけじゃないのだ。

むしろ「ちゃんと話したい」という思いが強いから、些細なことにこだわるんだろう。

 

誰かと話した後、一人になったときのあの「嫌な感じ」を味わうのはイヤだ。

嫌な感じがする。

誰かと気持ちよくしゃべって、一人の時間も気持ちよくすごしたい。

 

唾奇が歌うみたいに話しができたらいいのになぁとおもった。

唾奇の「ちょうどいい感じ」がほしい。

言葉が余計にならないようにしゃべりたい。

「しゃべらずにしゃべる」とか「語らずに語る」みたいな、あの感じ。

 

 

 

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