最高の朝

2023.01.12

 

 

 

 

今日は手ぶくろを何枚もつけて朝刊をくばった。

”3枚重ね”だった。

ユニクロの手袋のうえに、黒の軍手を2枚。

いつも使っていたスキー用の手袋より「防寒力」がつよかった。

 

ゴワゴワして新聞がつかみにくかったけど、指先が凍てつく”ピリッとした感じ”がなくなった。

今日は神谷美恵子さんの『生きがいについて』を聴きながら配達。

去年もおととしも聴いた。

”3回目”だ。

 

今回の読書は、前回や前々回のそれよりも沁みた。

”別の意味”で沁みた。

読書をしている自分の精神状態は、去年やおととしの方がひどかった。

 

悲哀に満ちているとき、どうしようもなく苦しいとき、そういうときに読む本は内面に深く沁みてくる。

けれど、今回の読書では、悲哀や辛苦の只中にいるときには感じられないものが感じられた。

そういうものから距離が取れたときに感じられるものがあるんだとわかった。

 

悲しみや苦しみが内面の底のほうに沈んでいったことで、感覚に余白ができたからだろうか。

画用紙をくまなく塗りつぶした絵ではなく、「余白」が残った絵が放っている何か。

そういう「何か」を感じた。

 

途中、セブンイレブンによった。

窓際の本のコーナーの前を歩いていると、『ゼットン先生8』という漫画が目に入った。

ワースト(worst)』の外伝。

中学生のころによく読んでいた。

 

ワーストに出てくるゼットンという人物がとても魅力的で、そのゼットンが師と仰いでいた坊屋春道(クローズの主人公)という人物がこれまたたまらなく魅力的だ。

ゼットンは春道のことを”最高の男”と言って慕っていた。

”最強の男”程度では敵わない、最高の男。

 

ゼットンが言っていた「最高」という言葉の意味を中学生のころから考えていた。

「最高」に、すこしでも近づきたい。

けれど、「最高」の意味がぼんやりしていて、なかなか掴めない。

追いかけても追いかけても消えていく”蜃気楼”のようなもの。

 

蜃気楼は、つかめない。

つかめないけれど、そこにある。

目の前にあって、目に見える。

目に見えるのに、目に見えない「何か」がある。

 

それは僕をモヤモヤさせる。

僕をモヤモヤさせるくせに、雲みたいに気持ち良さそうにモクモクしている。

だからなのか、モヤモヤするけど、気持ち良さそうなあの「モクモク」を追いかけているとなぜか追いかけているこっちまで気持ちよくなってくる。

「最高の男」を追いかけるのは、雲を掴みにいくような心持ちだ。

 

朝刊が終わってランニングをしたあと、風呂に入った。

風呂に持ち込んだiPadで『ゼットン先生』をダウンロードして読んだ。

ゆらゆら揺れる湯船。

モクモク立ち昇る湯気。

 

最高の朝だ。

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