2023.03.29
久しぶりの投稿です。
3月いっぱいで今の新聞専売所を辞めて、とうとう「配達学生生活」も終了だなと思いながら、4月以降の準備をしていました。
けれど、状況が変わりました。
4月下旬まで残ることになりました。
ぼくの次に配達区域を担当するミャンマー人の学生に仕事を引き継ぐために。
なんとなく「手持ち無沙汰」になったので、(”もう書かない”と思ってた)配達日記の延長戦を開催しようと思い立ち、キーボードをパチパチ叩いています。
配達終了まで、おそらく残り1か月弱。
配達日記、土壇場でリスタートです!
港の向こう岸に 工場のライトアップ
僕らそっと エンドロールを巻き戻そう
夜へと影が混ざった 孤独なふたつの肌
離れる前に優しさを思い出したんだ
『mellow yellow』 土岐麻子
このまえ家の近所を歩いていて、最近はなんだか気分が「黄色」だなぁと思った。
黄昏時に土岐麻子さんの『mellow yellow』をずっとリピートしている。
きのう、ふと思い立って本棚から松岡正剛さんの『空海の夢』を取り出して手に取った(装丁が黄色なのだ!)。
密教について考えていると、気分がいい感じに晴れてきた。
黄昏時の晴れ間だった。
今日は配達が休みだった。
朝はきのうに引き続き『空海の夢』を読んだ。
10時ごろからバスで恵比寿に向かい、恵比寿駅から歩いて山種美術館にいった。
すこし雨が降っていたけれど、傘をさすほどでもなかったので、無印で買った”黄色い”折り畳み傘をバッグにしまった。
羽織っていた”黄色い”マウンテンパーカーが雨を弾いていた。
山種美術館では「富士と桜」という企画展が開催されていた。
横山大観の富士や、葛飾北斎の富嶽三十六景や、歌川広重の東海道五十三次なんかを眺めながら、「藤」について考えていた。
「なんでぼくの名前は後藤航己なんだろう?」と考えることがよくある。
「後藤の「藤」にはどんな意味があるのだろう?」と、意味のないような問いの意味を考えるのが楽しい。
そうか、「藤」は「富士」で「不二」なのか、と思った。
いろんな富士の絵を鑑賞したあと、いろんな桜の絵をみてまわった。
富士の”後”に観る桜もよかった。
きのう、BBCに茶道家のひとが出ていた。
花見について語っていて、「日本人は散りゆく桜に自分を重ねる。桜をみつめることは自分をみつめることだ。」みたいなことを言っていた。
「富士と桜」の展示室をまわっていると、あの茶道家の言葉が蘇って(黄泉帰って)きた。
面白いひとときだった。
山種美術館を出て、恵比寿駅にもどった。
アトレの西館にある台湾料理のお店でランチ。
「鼎泰豐(ディンタイフォン)」というお店。
入り口で案内してくれたお兄さんが「何かアレルギーはありますか?」といったので、「小麦です。」と答えた。
小籠包が売りの点心(中華料理の”おやつ”みたいなもの)専門店だから、ほとんどのメニューに小麦が入っているはずだった。
それでもお構いなしに「小麦は食えません」と暗に答える”奇特な客”にも丁寧に対応してくれた。
ありがたい。
駅前が一望できる窓際の席についた。
正面に大きな看板があった。
「社長メシ」。
「社長メシ」と書いてある看板を一瞥したあと、「蒸し鶏のスープ」を注文用紙に記入して、店員さんに渡した。
メニュー表には縁のない食べ物がずらりと並んでいた。
ほとんど縁のない食べ物ばかりだけど、一つでも食べたいものがあれば、それだけのために店を訪れる。
恵比寿の小綺麗な中華料理屋で黄色いマウンテンパーカーを羽織りながら「蒸し鶏のスープ」を啜る自分はきっと「変な奴」なんだろうけど、これが自分だし、これが楽しいし、これからもこんな感じで生きていきたいと思った。
こんな感じで、「今日より良い明日」を信じて、生きていきたいと思った。
「蒸し鶏のスープ」を飲み終わった”後”の、器のなかにある「変な奴」に貪られた”後”の、「鶏の骨」をじっと観ていた。
黄色い油が滲んでいた。
窓の向こうの雨上がりの駅前をもう一度眺めて「ご馳走様でした」とつぶやき、手を合わせた。