2023.04.04
今日は”ポケットWi-Fi”が届く日でした。
配達員さんが家にくるのを待ってました。
いつもなら寝る時間のところを、配達員さんがくるのを待つ時間に当てたこともあり、寝不足です。
ウトウトしながら小学生のころに聴いていた「懐かしソング」をずっと聴いていました。
おかげで気分は良かったです。
ところで、眠たいときは、理知的な部分より情緒的な部分が優位になります。
「理性を失う」という言葉は悪い文脈でつかわれることが多いですが、「懐かしソング」を聴きながら情緒を味わっていると、「やっぱり人は理性を失った方がいいときもあるよな」と、しみじみしてしまいました。
では、なんのまとまりもありませんが、今日は友人のタン(ミャンマー人)といっしょに配達したときのことを振り返ります。
はじまりはじまり〜
一生懸命になればなるほど 空回りしてしまう僕らの旅路は
小学生の、手と手が一緒に出ちゃう後進みたい
それもまたいいんじゃない? 生きてゆくことなんてさ
きっと 人に笑われるくらいがちょうどいいんだよ
『決意の朝に』 Aqua Timez
タンがすこし配達を休んでいた。
おとといの朝、店でいっしょに配達の準備をしていたとき、「オナカガイタイデス」と、腹痛を訴えていた。
結局タンはその日の配達を休んだ。
夜が明けて、タンは病院に行った。
診断結果は腎臓(尿路)結石。
腎臓に「石」ができたみたいだ。
なったことがないからわからないけれど、尿道に石が詰まるなんて、想像すると顔が歪んでしまう。
タンが休みだったから、昨日はひとりで配達をした。
タンが来てから引き継ぎのためにずっと二人で配っていたから、ひとりで配達することはもうほとんどないだろうと思っていた。
一人だったので、久しぶりにオーディオブックを聴こうとおもった。
芥川龍之介の『西方の人』が聴きたかったけれど、ダウンロードし忘れたので断念。
『西方の人』が聴きたくなったのは、前の日の夜に本棚から紙の本の『侏儒の言葉・西方の人』をとりだしてパラパラめくったからで、とくに、芥川がキリストをニーチェの「超人」と対比して「超阿呆」だと言っていたのが印象的だった。
「何か」が印象に停まっていた。
その印象について思念を廻らせること以外には、オーディオブックに用はなかった。
だから、結局その日は帰ってからも『西方の人』は読まず終いだった。
次の日、タンが「復活」した。
手術をしたりしたわけではなく、薬を飲みながら配達生活を続行することにしたらしい。
配達中の歩き方や走り方がどことなくぎこちなくて、「そんなにボロボロで大丈夫か?」と思った。
でも、いつものニコニコした陽気な感じは変わってなかった。
痛みと一緒にニコニコしている、太陽みたいなタンがどこか可愛かった。
今日は引き続きタンと二人で朝刊配達。
これまで「二人で配達」する機会なんてあまりなかったから、どこか「ぎこちない感覚」があった。
「ぎこちない感覚」を覚えつつ、「どうすればこの”二人で配達”の時間が愉快になるだろう?」と考えてみた。
僕はその時々に起こる出来事や、その時々の出会いには必ず何か「意味」があると思うことにしている。
そう思うことにしていることもあり、その「意味」を考えて生きるのとそうでないのとでは、「充足感」のようなものが全然違ってくると感じている。
ただ、そこで大事なのは、誰かが勝手に決めた嘘か本当かわからないような「本当の意味」のようなものではない。
自分にとって本当だと思える意味をつかむことが大事で、そこで充足感を補填すること。
自分にとって「いまこのとき」にはどんな意味があるのかを考えて、そのときに感じる「意味の感覚」のようなものをつかんで生きること。
そうすることで、「何か」が拓けてくると思う。
ただ、「本当の意味」は、頭で追い求めすぎると辛くなる。
「本当の意味」に思考を”廻らせ”すぎると、切羽詰まって「大切な意味」を感じるための器官が麻痺してしまう。
「意味の結石」ができてしまう。
頭で考えちゃダメなのだ。
朝刊を配り初めて90分ぐらい経って、すこしの時間バイクを停めて、タンと空を眺めながら休憩した。
「あぁ、この感じか」と思った。
やっと”意味の香り”がしてきた。
道の向こう側には、オレンジ色の空が煙のようにジワジワと昇りはじめていた。
「エンジン」を止めた、煙の出なくなったバイクの横にタンは立っていた。
「キレイデスネー」と言っていた。
ニコニコしながら、言っていた。
ぼくも、タンの真似をした。
「キレイデスネー」と言ってみた。
ニコニコしながら、言ってみた。
「帰るか」
頬の緩みを感じながら僕はいって、停めてあるバイクの方に向かった。
「ハイ」
タンもあいかわらず頬を緩ませていた。
変な歩き方で、バイクの方へ向かって歩いていた。
相変わらず歩き方が変で、その変な歩き方が「なんかいいなぁ」と思った。
帰り道も、タンはニコニコ笑っていた。
斜め後ろを走る二輪車のうえで、ニコニコしていた。
なんだか愉しい朝だった。