(16) おーろら3
目が太陽のごときものでなかったら、 どうしてわれわれは光を見ることができよう? われわれの中に神自体の力が生きていなかったら、 どうして神々しいものがわれわれをうっとりさせることができよう。 ...
北海道のあちこちを旅しながら、「おわり」と「はじまり」とその「あいだ」について考えていました。
主に「言語」にかんする哲学的考察を、日記のかたちで描いています。
私的なことをポップに書いているので、小難しい哲学に馴染みがない方でも楽しんでいただけるのではないかと思います。
よかったら、ぜひご一読を!
*Special thanks
『多動日記』 高城剛
『ゲーテ格言集』 高橋健二
『ホワイトヘッドの哲学』 中村昇
目が太陽のごときものでなかったら、 どうしてわれわれは光を見ることができよう? われわれの中に神自体の力が生きていなかったら、 どうして神々しいものがわれわれをうっとりさせることができよう。 ...
われわれ(詩人)は女のようなものだ。女はお産をする時は、もう二度と男の側に寝まいと誓う。しかもいつの間にか、また身ごもっている。 『ゲーテとの対話』(エッカーマン) ゲーテ 物語から降りるには...
天国にひとりでいたら、 これより大きな苦痛はあるまい。 『格言的』 ゲーテ ウポポイを出て、「カフェ リムセ」というところでランチをしていた。 前日にウポポイが休館日だったにも関わらず来て...
真なるものは、神的なものと同一であって、決してわれわれによって直接には認識されない。われわれはそれを反映と実例と象徴と個々の親近な現象においてのみ見る。われわれはそれを理解し得ない生命として認める。しかもそ...
真理はわれわれの性質に逆らい、誤りは逆らわない。しかも、きわめて簡単な理由によってである。即ち、真理は、われわれが自分を限られたものとして認識すべきことを要求するのに反し、誤りは、われわれが何らかの仕方で限ら...
物事の無常について仰々しくしゃべり立て、現世の空しさの考察にふける人々を私はあわれむ。われわれは、無常なものを無常でなくするためにこそ存在しているのだ。それは、両者を尊重することを知って初めて可能である。 『...
最も不自然なものもまた自然である。至る処に自然を見ない者は、どこにも自然を正しく見ない。 『自然に関する断片』 ゲーテ 白鳥大橋の上で車を走らせていた。地球岬に向かっていた。相変わらず米津玄師の『...
朗らかな心で理解したいと私は願う。 目と耳の提供するものを。 『エピメニデスの目覚め』 ゲーテ 洞爺から東室蘭へ向かった。東室蘭についてシェアカーのレンタル開始時間まで時間があったので、すこし町を...
何人も他の者と等しくあるな。だが、みな最高のものに等しくあれ。 どうしたら、それができるか。みなめいめい自己の内部で完成させてあれ。 『四季』秋の部 ゲーテ 洞爺湖温泉のバスターミナルからバスに乗...
真のあらわれを楽しめ、 厳粛な遊戯を楽しめ。 凡そ生きているものは一ではなく、 常にそれは多である。 『神と世界』 ゲーテ 午前9時過ぎ。ホテルのカフェラウンジでコーヒーを飲んでいた。『Libra...