ゴールデンウィークが始まって配達ルートに新しいマンションが加わった。15階建の古いマンション。3時前にエレベーターをあがって15階にたどり着いて、街を一望した。
真夜中の街並みがそこにあった。眠っている生物の細胞みたいだった。粒々の光がまばらに煌めいていた。
チラホラとみえる赤い光。新聞を抱えて足を踏みしめながら、身体の血の巡りが頭の中に浮かんでいた。
若干睡眠不足で体が重い。
でも、気を配っていれば心は重たくならずにすむ。
そして、楽しい気分でいれば足取りもすこしは軽くなる。
新しいマンションの新聞を配り終えた。いつも通りオーディオブックを再生した。
オーディオブックを聴きながらしばらくして、ふと気づいた。
足取りが重くなっている。
iPhoneの画面をタッチしてオーディオブックの再生を停止した。これじゃダメだ。
気だるい気分のまま聴いていると、そのうち頭が回らなくなることはわかっている。
「内面の燃料」を点検することからやり直すことにした。頭が活動できるエネルギーを補給しないといけない。
体と心がエネルギーを求めて彷徨うあいだ、機械仕掛けのバイクは静かな夜の住宅街を淡々と走っていた。
新しいマンションから次のお客さんのお家まで、すこし距離があった。呼吸を整え、黙想しながらバイクに乗っていた。シートの上で風を感じていた。
体の感覚を確かめると、若干こわばっているみたいだった。
引き続き呼吸に意識を集中した。
しばらく呼吸に意識を集中し続けると、エネルギーの質が変化している感覚が得られた。
次第に気分が落ちついてきた。
気分が落ちついてきた頃合いをみて、音楽を聴くことにした。
当真伊都子さんの『dreamtime』 というアルバムを流した。
整えた気分がゆったりと揺らいでいった。
布団のなかで微睡むような安らかさと、昼間の公園でブランコに振られるような感覚。ふたつの感覚が混ざっていった。
配達用のバイクがメリーゴーランドみたいに感じられた。同じところをまわっている気がした。煌びやかな円形の空間を同じようにまわり続けている気がした。
妄想で遊園地に”行った”のだろうか。夢のような時間だった。
きっと音楽を聴いているときの感覚を大きく膨らませすぎたのだ。
感覚の肥大に比例して、妄想が肥大した。
夜の遊園地で踊るように配達をした。それは錆びついた精神の「オイル交換」でもあった。
夜の住宅街を内省的に駆け回っていると、「内面の澱み」を減らすことができたのだ。
このあとは、オーディオブックをけっこう集中して聴けた。
「燃料の点検」を怠っていれば、こういかなっただろう。
物事に取り組むまえに自分の「内面」を整えておくことは、やっぱり大事だと思った。
その「内面を整える作業」は、じっとしてないで動きながらやるといい。
そう思った。