iPhoneのひび

2023.01.02

 

 

 

神乃珈琲で「月煎」という名前のコーヒーを飲んでいた。

iPhoneを机の上に置いた。

画面がバキバキだ。

割れている。

この前、朝刊の配達中に落としたのだ。

 

iPhoneの画面の右端の方を触ると、微細な破片が指先に刺さる。

ザラザラとしたものが親指にまとわりついてくる。

粉々になった画面を眺めていると、なんだか「貧相」な感じもするけれど、これはこれで綺麗だなぁと思った。

画面が割れたのは今回が2回目で、半年前ぐらいにも落として、そのときからすでに割れていた。

前に落としたときに割れたのは”上の方”だった。

今回は”下の方”が割れた。

 

1回目に落としたあと、「このままでいいや」と思って放置していた。

2回目に落としたあと、iPhoneを眺めたり触ったりして、「さすがに変えた方がいいかな」と思った。

けれど、やっぱり「粉々に割れた画面」に妙に惹かれる。

貧相で脆弱な”面構え”を愛でたくなるのはなんでなんだろう。

 

コーヒーを飲みながら、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を読んでいた。

何回読んでもよくわからない。

いや、わかるにはわかる。

けど、やっぱりわからない。

何をわかっているのか、何がわかっていないのか。

読むたびに、そこがわからなくなる。

いやいや、それもちがう気がする。

ずっと「何か」を取りこぼし続けるような感覚。

 

雑記帳に書いた断想録。

それを無理やりまとめようとして読むから、わからなくなるのだろうか。

断片は断片のままにしておいた方がいいのだろうか。

ヴェイユの「ひび」はわからないけど、でも、そこに「何か」をかんじる。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です