TSUNAMI

朝刊が終わってタイムカードを押したのは5時15分だった。配達中は宮台真司さんと伊藤二郎さんの対談を聴いていた。「自然と社会を横断する二つの視点から」という題だった気がする。面白い話を聴けた。バイクのスピードが自然とあがっていた。

配達中の熱が冷めないまま、頭をグルグル回しながらガラガラの駒沢通りに自転車を走らせた。お気に入りの黒いクロスバイクに乗って気持ちよくなっていた。

西郷山公園に着いた。公園の坂を登るまえに、マウンテンパーカーの下に着ていたパーカーを脱いだ。パーカーの下にパーカーのスタイル。パーカーバカだ。

一枚だけ剥ぎ取った。脱皮だ。ついでにバッグからカメラを取り出して、胸の前にぶら下げた。

光ってなんなんだろう、と考えながら階段を登っていた。朝のぼんやりした空気のなかでぼんやりと考えごとをしていた。そして、迷子になった。精神的に、迷子になった。

抽象的なことを考えていると、今ここがどこなのか、自分が誰なのかわからなくなる。

人は迷子になりたくて抽象的なことを考えるのだろうか。迷子になって彷徨えば、光が差し込んでくると信じているんだろうか。

光を待つこと。それは迷子になることだ。自分がわからなくなっても、それでも「何か」を探し続けながら彷徨っていればそこに光が差し込んでくる。

 

夕刊の前にイヤホンを失くした。朝に続いてまたまた迷子。店のみんなに探すのを手伝ってもらった。「自分で食べたんじゃないですか」とか「後藤さんの被ってる帽子のなかに入ってるんじゃないんですか」とか「じつは俺が盗んだ」とか、わりと気持ちのいい冗談を浴びながら迷子のイヤホンを探すのを楽しんでいた。迷子って、ほんとは楽しいことなのかも。

夕刊を積んだトラックが店に到着したと同時くらいに、イヤホンが見つかった。配達用のバイクの荷台の金属部分にぶら下がっていた。磁力で荷台にくっついていたのだ。

取り残されたイヤホンからは、サザンオールスターズの『TSUNAMI』が流れていた。

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